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下着の歴史のはじまり

主に2つの諸説があります。

【1】人類の下着の歴史の始まりは、遠い遠いはるか昔の旧約聖書にあるアダムとイブの時代にまでさかのぼります。 旧約聖書 創世記 第3章6-7 「女が見ると、その木はいかにも美味しそうで、目を引きつけ、賢くなるようにそそのかしている。 女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづりあわせ、腰を履うものとした」。ここには、「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、
二人はいちじくの葉をつづりあわせ、腰を履うものとした」と言われています。

【2】現代では当たり前のように誰もが身につけている下着ですが、100年程前は、
日本人女性は下着を身につけていなかったことを、皆さんは御存知でしょうか?
まずは、そもそも下着がいつどこで誕生したかというお話ですが、適当な大きさの布を腰に巻きつけた腰布が、下着の起源であり、誕生した時期は紀元前3000年頃と言われています。
当時の下着は、紐で腰に結びつけて股の下を通し、後ろで紐に通し固定するふんどし型のものと、
胴回りに何度も巻きつけてピンや細いベルトで止める腰巻き型の2種類が存在していたそうです。
これらが現代のパンツの原型となっています。
そして、多くの古代文明においては、この腰布が利用可能な唯一の下着であり、女性も腰布を身につけていました。
古代文明においては、男性下着と女性下着の区別というのが存在していなかったのです。

日本の下着の始まりは?

◎邪馬台国の時代◎

卑弥呼で知られる「魏志倭人伝」によると、男性は織布をそのまま身体にまとい、
女性は布の真ん中に穴を開けて頭からスッポリとかぶる。
このスタイルから腰巻きやふんどしに進化したいわれています。
大昔より人々の生活の中には下着があったのではないかと言われています。

◎奈良、平安、江戸時代◎

かざみ【汗衫】といわれる、装束の下にも重ねられ、のちの汗取(あせとり)や
下襲(したがさね)のようなものであったそうです。
衫の色は藍と葡萄(えび)と白であったが,一般には白が多く用いられたそうです。
下着というより、着物(重ね)の下に腰に巻いていたものの変化したものをイメージするとわかりやすいですね。

江戸時代になってくると、生地や材質も良い綿のようなもの、
絹などを練りこんであるような布を膝丈ぐらいで巻いて付属の紐でとめた腰巻き(裾よけ)を着用し、
汗をすわせり、体温調節をしていたそうです。

◎明治初期◎

日本の一般女性は、1930年ごろまで下着を身に付ける習慣がなかったそうです。
現代でも、着物の時は下着を身につけないという人がいますが、和装の時代には、
下着を身につけないのが常識でした。
そして、その理由も現代のように下着の線が出てしまうからという理由ではなく、
トイレ後に着崩れしてしまうというものでした。
「なぜトイレで着崩れ?」と思う方もいるかもしれませんが、当時の下着は今のような浅いパンティではなく、
おへそまできっちり隠れるものだったため、帯の下に下着が挟み込まれてしまい、
脱ぎ着すると着物が着崩れてしまうのです。
当時はこのようなこともあり、下着を身につけることは非常識なことだったそうです。

そんな日本でも、上流階級の女性たちは、徐々に日本が世界に対して開けてきた明治10年代から
20年代はじめにかけて、洋服を着用する身だしなみとして、コルセットやショーツといった下着を
着用し始めたそうです。庶民は依然として腰巻や襦袢を身につけていただけでした。
1930年ごろになると、庶民にも下着を身につける習慣が徐々に浸透し始め、
その代表的なアイテムがズロースでした。

◆1940年代

ブラジャーが本格的に日本で広まるのは、第二次世界大戦後のことでした。
それまで、日本人女性は、さらしやガーゼを胸にまいていました。
それらは当時、「乳房バンド」や「乳バンド」と呼ばれていたものです。
そして、大戦後の昭和24年に、株式会社ワコールの創業者である塚本幸一氏が、
「これから女性は間違いなく洋装化する」と予測をし、
現在の株式会社ワコールの前身である和幸商事を創業したのがブラジャーの始まりと言われているそうです。
彼は日本で初めて「下着ショー」を開催し、内容は下着の付け方の教室だったそうですが、
これが新聞に取り上げられ、下着が日本社会に認知されていくきっかけの一つとなったという話も有名です。

◎明治10年代から20年代はじめ◎

上流階級の女性たちは洋服を着用する身だしなみとして、
コルセットやショーツといった下着を着用し始めたそうです。
ですが、庶民は依然として腰巻や襦袢を身につけていただけでした。
1930年ごろになると、庶民にも下着を身につける習慣が徐々に浸透し始め、
その代表的なアイテムがズロースというものだったそうです。

昭和25年にブラジャーが登場し、女性が洋服を着た時にバストの形が美しく見えるような下着が初めて
日本の市場に出回りだしました。ですが、当時は材料となる布の仕入なども大変な世の中で、
あまりつけ心地が快適とは言えないものだったようです。

◎1955年以降◎

日本が高度経済成長期に入り、外国のファッションブランドが続々と日本に上陸したため、
日本人女性が洋装化し、それに合わせて下着もデザインされていきました。
そして、前半でお伝えしたような西洋の下着の流行が日本にも入り、
今のような下着の文化を形成したと言われています。

海外での下着の歴史は?

◎中世◎

中世に入ると女性は身体にフィットするアンダードレスと、ブライズ(腰と太ももで、
紐で固定する薄手の素材のズボン)を着用していたそうです。
ルネサンス期になると、ふっくらと傘のように広がったスカートが女性の間で流行し、
ドレスの下にファーティンゲールという、スカートを支えるフレーム枠付きの下着を身につけるようになり、
下着はヨーロッパを中心に発展していきました。

ルネサンス期に入ると、ふっくらと傘のように広がったスカートが女性の間で流行し、
ドレスの下にファーティンゲールという、スカートを支えるフレーム枠付きの下着を身につけるように
なったそうです。

◎18世紀〜19世紀◎

この期間に様々な下着が現れました!18世紀の女性は、ステイズという、後ろから身につけ、
胴の前で紐で止める下着をつけるようになり、後にスタイルを保つために厚めの布で作られるように
なったものが『コルセット』と呼ばれるようになったそうです。
当時は、細い腰が美の象徴とされていたため、コルセットは、身体をきつく締め付ける設計になっており、
着用時に苦痛を伴うことが多く、また血行不良や酸素不足から内蔵に障害を負う女性もいたそうです。

18世紀に入ると、プランテーションによる綿花の増産が出来るようになり、また自動機織機が開発されたりして、
安価な綿布製品を大量生産することが出来るようになりました。
第一次世界大戦後には、レーヨンの合成法が開発され、レーヨンが下着にも使われるようになりました。

さらに、19世紀に入ると、男性、女性、子ども問わずユニオンスーツが一般的な下着になっていきました。
ユニオンスーツというのは、手首から足首まで、覆う形状のほぼ全身を覆う下着のことであり、
20世紀の初頭まで広く一般的に着用されていたそうです。

◎現代◎

現代のように、下着の上下が別々になったのは、1910年代の後半に、カルマーズ紡績会社がユニオンスーツを
上下で分けることを考案した時と言われています。
これにより、実質的にアンダーシャツとズロースが発明され、ズロースとは、比較的ルーズにフィットし、
丈が長くひざ上くらいまである下着で、フィット性が高く、
横の長さが短めである現代の下着とは対極にあるようなインナーだったそうです。

初めてブラジャーが誕生したのもこの時期となります!1913年に、メリー・フェルプス・ヤコブが、
2枚のハンカチをリボンで結ぶことで、現在知られているブラジャーが誕生したそうです。
そして、ヤコブはこれを特許申請し、アメリカ中にブラジャーの販売網を広げることに成功し、
成功をおさめたそうです。

また、1910年代の終わり頃には、アメリア・ジェンクス・ブルマーによって女性下着として、
ブルマーが発明され、この頃は足首まで覆うズボンのようなデザインであり、
スポーツを楽しむ活動的な女性の間で流行したそうです。
1920年代になると、このブルマーの丈が短くなり、ゆったりとしたデザインではありましたが、
パンディに近いデザインとなります。
当時の女性は、この丈の短いブルマーを履き、ストッキングを用いて足を覆っていたそうです。
そして、この時期に社交ダンスが流行し、ダンス中にストッキングがずり落ちないように
ガーターベルトが発明されました。
この時に、下着の役割に「ただ隠すこと」に加えて「女性の魅力を引き立てること」というのが追加され、
ランジェリーという新たな分野が確立されましたそうです。

◎1910年代の後半◎

この頃から現代のように、下着の上下が別々になりました。
カルマーズ紡績会社がユニオンスーツを上下で分けることを考案したためです。
これにより、実質的にアンダーシャツとズロースが発明されたそうです。
ズロースとは、比較的ルーズにフィットし、丈が長くひざ上くらいまである下着で、フィット性が高く、
横の長さが短めである現代の下着とは対極にあるような下着のことです。

◆1913年=メリー・フェルプス・ヤコブが、2枚のハンカチをリボンで結ぶことで、
現在知られているブラジャーが誕生しました。そして、ヤコブはこれを特許申請し、
アメリカ中にブラジャーの販売網を広げることに成功し、成功をおさめたそうです。

◆1910年代の終わり頃=、アメリア・ジェンクス・ブルマーによって女性下着として、ブルマーが発明され、
足首まで覆うズボンのようなデザインであり、スポーツを楽しむ活動的な女性の間で流行したそうです。

◆1920年代=ブルマーの丈が短くなり、ゆったりとしたデザインではありましたが、
パンディに近いデザインとなります。当時の女性は、この丈の短いブルマーを履き、ストッキングを用いて
足を覆っていたそうです。そして、この時期に社交ダンスが流行し、
ダンス中にストッキングがずり落ちないようにガーターベルトが発明されました。
下着の役割に「ただ隠すこと」に加えて「女性の魅力を引き立てること」というのが追加され、
ランジェリーという新たな分野が確立されました。

◆1930年代以降=男性向け下着は新たな発明と改良が進みます。1935年1月19日、
シカゴのクーパー株式会社の手により、ジョッキーと名付けられた世界初の「ブリーフ」が売り出されます。
ボタンや紐の代わりにゴムが腰回りに使われるようになり、プロボクサー選手が身に着ける短いズボンに似た
「ボクサーショーツ」も広く売り出されるようになりました。第二次世界大戦後には、ゴムの下着へと戻ります。

◆第二次世界大戦が終わり、1950年代から1960年代=下着は大きく変化します。一般的に下着は白のみでしたが、
プリント柄や、カラーの下着が販売され始め、
下着のファッション性というのが広く理解されるようになりました。
また、素材の面でも様々な試みがなされ、レーヨンやナイロンのような化学繊維が試され、
広まっていったそうです。

◆1970年代から80年代=ファッションとしての下着市場は成熟期を迎え、
下着メーカーは性的魅力を主張するような広告戦略をとるようになったそうです。
80年代には、ブラジルでTバックとして知られる下着が広まり始め、90年代頃には欧米で大流行し、
世界中で広まっていったそうです。

◎【豆知識】◎

■肌着とファンデーションの違い■

下着とは、外衣・中衣の下に着用する衣服のことを言い、インナーとも呼びます。
和服の重ね着の場合は内側に着用する衣服を下着と言います。パンツに靴下にブラジャーにと様々であり、
そんな下着の中でも、上の服を汗などの身体の汚れから守り、体温を一定に保ち、快適に過ごすため、
さらに肌を衛生的に保つために肌に直接着ける下着を「肌着」と言い、
パンツや靴下やシャツは肌着に分類されます。

一方、ブラジャーやガードルなど、女子の体形を美しく整えるための下着は、
直接肌に着けるものでも肌着ではなく「ファンデーション」に分類され、
ファンデーションは基礎衣類を意味する英語の「foundation garment」の略で、
補正のための下着を意味しています。衣類を着用したとき、衣類がピッタリしたものだと
身体のラインが外部から分かりますが、このように外見に現れる衣類のシルエットを美しく整える目的で
使われます。女性用が主ですが、近年では男性用のブラジャーも販売されているそうです。

■日本のブラジャーの歴史■

バストのための下着「乳房バンド」が誕生したのが昭和初期の1929年代といわれております。
当時は着物を着ていたので、バストを目立たせるものではなく乳首を隠すための商品、
また、授乳期の乳房を保護する衛生用品だったそうです。

その後、ワコールの前身である和江商事から発売された「ブラパット」が人気商品となり、
この「ブラパット」はバスト自体をきれいにするものではなく、洋服の内側につけてバストの形を
良く見せるためのものだったそうです。針金をらせん状に巻いたものに布をかぶせて、
日本人が憧れた理想のバストに近づけるためのものであったそうです。

1950年に入って、ようやく今の形に近いブラジャーが生産されました。
この頃のサイズはアメリカ人用のS/M/Lのサイズ展開でしたが、
1956年に日本人向けの新しいサイズ規格が採用されるようになりました。
当時のブラジャーには現在のようなカップの内側にブラパットを入れるポケットがついていたそうです。

「乳房バンド」から数えたら86年、「ブラジャー」から数えたら65年以上たち、
日本のブラジャーの歴史はとても浅いものです。
バストを美しくしてくれる素敵なアイテム、どんどん進化をしていくでしょう。

■最近注目をされているブラジャーの分類■

ストラップレスブラジャー
バストをコンパクト、小さく見せるブラジャー
夜用ブラジャー→ナイトブラ
第三のブラジャー→ノンワイヤー
脇高、脇肉をケアするブラジャー
乳がんを経験された方用のブラジャー

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